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Will-o'-the-Wisp ブログ

主宰オオノのお芝居関連日記
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コザ暴動から45年
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    1970年12月20日未明。米軍統治下のコザ市(現沖縄市)で、米兵の交通事故とそのずさんな対応に怒りを爆発させた市民が、アメリカ人車両に襲い掛かり、75台にも及ぶ車両を炎上させるという大事件が起こりました。これがコザ暴動(騒動、事件とも)です。この暴動に「参加」したのは3000人とも5000人とも言われていますが、これだけの人数が暴れたのは、もちろん横暴な米兵の態度ではあるものの、当時のコザ市長がいみじくも語った「(米軍支配の)25年にわたる民衆の怨念」が吹き上がったからでしょう。

    日本の領土に復帰した今も、日米両政府によって苛まれ続けている今、そしてそんな鬼畜日米にオール沖縄で異議申し立てがなされ続けている今日、暴動の舞台となったコザで、45年前を振り返る写真展と、当時の映像の上映会が開かれました。
    写真展は行けませんでしたが、上映会とシンポジウムに参加してきました。



    上映されたのは『かたき土を破りて―沖縄'71―』と『激突死』という2本のドキュメンタリー。当時は日本テレビもこんな硬派なものを流せるくらい、テレビが報道媒体として生きていた時代でした。
    前者は当日の暴動の様子から翌日のピリピリした平穏までを描き、後者は沖縄出身の上原安隆さんという若者がバイクで国会議事堂正面鉄扉に突っ込んだ事件を軸に、沖縄と日本との緊張関係をうかがわせるもの。どちらも古い作品だけに、音声がかなり効きにくかったものの、本当に迫力のあるものでした。

    続くシンポジウムには、当時を取材した記者、翌日の様子を撮影した写真家、さらには当時「参加」した住民らが登壇。詰めかけた聴衆は、年をとってくどくなっている(苦笑)シンポジストの話に耳を傾けました。



    コザ暴動は、「暴動」と呼ばれていますが、3つの不思議により通常考えられる暴動とは異なるものでした。
    1.リーダー(扇動者)がいなかった。
    2.死者が出なかった。
    3.略奪がなかった。
    さらには、米兵は襲われたものの、当時は同じ被差別者と思われた黒人兵は逃がされたことや、駆け付けた私服警官や機動隊が、暴動を止めるでもなく傍観していたことなどから、本当に民衆の怒りが個々の米兵というよりも、占領軍に向かっていたことがわかります。

    沖縄の人たちは、あれから45年経っても、いまだ踏みつけにされ続けています。特に現政権は統治していた米軍よりもタチが悪く、沖縄を植民地程度にしか考えていません。



    暴動が起きた、米軍基地に続く沖縄市の商店街。アメリカナイズされた雰囲気とは裏腹に、シャッター通りと化しています。アメとムチのアメであるはずの沖縄振興予算などという見せ金が、沖縄の経済をまったく潤していないことがわかります。

    コザ暴動から45年。沖縄の人たちの怒りは今も燃え盛っています。


    12/20 野外劇団楽市楽座『バード・フラワー』@那覇にぎわい広場特設会場
     
    | 雑多 | 22:35 | comments(0) | - | - | - |